ガザのために「何ができるか」ではなく「何をしなければいけないか」
2023年10月23日早稲田大学で開催された岡真理さんによる緊急講演「ガザを知る緊急セミナー ガザ 人間の恥としての」を見ました。署名をしたり、募金をしたり、日本語字幕がつけられた投稿をシェアしたりしていましたが、そもそもガザで起きている、非人道的で残酷な行為を(わたし/あなた/我々を含む)国際社会が放置・容認してきたこと、何度も繰り返されているそれを知らずに済んできたこと、忘却することによって次の虐殺への道を整備し続けてきたこと。動画内でも言及されていますが、本当に恥ずべきことであり、無理せず自分にできることをするという次元でも、まずは知る/学ぶという次元でももはやなく、(わたし/あなた/我々)全員が自分の特権性を顧みながら/恥じながら抵抗する、声をあげるべきターンにとっくに来ているのだと痛感しました。
岡真理さんによる「ガザを知る緊急セミナー ガザ 人間の恥としての」
「ガザ・イスラエル紛争の即時停戦を」求める署名(名前とメアドを入力するのみ、30秒でできます)
https://www.amnesty.or.jp/get-involved/action/jp_202310.html
デモや現地の情報などを日本語でシェアしてくれているインスタアカウント
https://www.instagram.com/inkyano_geji/?utm_source=ig_web_button_share_sheet&igshid=OGQ5ZDc2ODk2ZA==
岡真理さんの書籍
https://www.msz.co.jp/book/author/a/14410/ (みすず書房)
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3333 (青土社)
その他書籍
『交差するパレスチナ』(在日本韓国YMCA/新教出版社/2023)
https://www.shinkyo-pb.com/books/palestineattheintersection/
岡真理さんが動画内で言及していた「文学を通してヒューマニティを取り返すことが必要」「言葉とヒューマニティが私たちの武器である」という言葉が、曲がりなりにも極小でも本屋を名乗る自分にも重くのしかかってきます。「戦争」ではなく「ジェノサイド」だと呼ぶこと、彼らを「非人間化」させようとする言説に抵抗すること、それを遂行するためにヒューマニティを取り返すこと。忘却や無関心は虐殺への加担であることを自覚すること。彼らの解放は我々の解放であると自覚すること。
「私たちに何ができるか」ではなく「何をしなければいけないか」と問うこと。デモに参加する/デモの情報をシェアする/政治家に声を届ける/停戦を求める署名に参加する/イスラエルを支援する企業へ不買運動を行う/現地で撮影された動画などの情報をシェアする/何が起きていて何が起きてきたのか正しく知ろうとする/ガザを巡る状況と同根の日本にも存在するレイシズム・ヘイト・デマetcと戦う、批判する/それらを通して連帯する、応答する…… まずは無理せずできることから、ではなく。
自分自身まだまだ知識不足ですが、よくわからないから見るだけにする、いいねするだけ、自分は何も投稿しない、といった態度が彼らを(比喩ではなくその通りの意味で)殺していると感じ、まずはニュースレターで上記動画を見て感じたことを書いてみました。同じように思っている人は多いはず。もう何十年もの間、自分や仲間や家族の死を以て、世界に自分たちの存在を可視化しようと、声を上げようとしてきた彼らの声を無視して、都合よく自分の声だけを聞いてもらおうとするのは不正義で自分勝手で、クィア(ものすごく広い意味で)ではないと感じます。岡真理さんの言葉を最後まで借りると、彼らのために「何ができるか」ではなく「何をするべきか」をみんなで問い続けたい。
この後営業日誌と各種お知らせを書くつもりでしたが、長くなったのでこのまま投稿することにします。ウクライナの時に比べると、SNSなどでガザについての投稿をシェアしている書店が少なく、何でだ…とモヤモヤしています(自店も十分ではないですが)。ガザについて何も触れずに、フェミニズムやジェンダーを語ることができるのか?そういった書籍を取り扱うことができるのか?と思い少しモヤモヤしています。植民地主義を批判せずに、我々の無関心と忘却が(遠因ではなく)原因となって起こっている大虐殺に声を上げずに、何が”独立系”書店か…?何が”オルタナティブ”か…?と、何だか都合よくそういった書籍を扱っているように見えてきて違和感。

