231224_営業日誌/お知らせなど
オンラインストアは今月が過去最高売上を記録していますが、店舗営業は閑古鳥が鳴いていて、そのコントラストにビビってます。
▼CONTENTS
①お知らせ
②営業日誌
③モヤモヤお焚き上げ:「ケア」の定義について
①お知らせ
「ガザ 素顔の日常」上映会を開催します。本作は、イスラエルによる略奪と虐殺と暴力と搾取と占領の日常を送りながら、それでも強かに日々を生きるガザの住人たちの様子を追いつつ、朗らかで快活に見える彼らの日常が、いかに不均衡な力関係と暴力に脅かされながら成立しているかという現実を伝えてくれるドキュメンタリーです。
本来は年を跨ぐことなく永久停戦に向けて協議を進めるべき所ですが、停戦をして終わり、攻撃がやめば終わりではなく、今回やこれまでのパレスチナをめぐる抑圧的で不平等な関係性が、どういう経緯で、どういった暴力性を根源としているのか、それらが今我々が被っている差別や暴力やヘイトとどうつながっているのか、ということを映画を通してみんなで話して考える場が必要だと考え今回の上映会を企画しました。ぜひご参加ください。
[日程] 2024.01.08 (月祝) @本屋メガホン(アクセス)
[時間] 2部制(申込の際希望時間を選択ください)
①10:00-13:00 (定員10人)
②15:00-18:00 (定員10人)
[料金] カンパ制(払える人は2000円目安)
詳細・申込はこちら
▼注意事項▼
・いかなる差別、ヘイト、ハラスメント行為も容認しません。(運営の判断にてご退場いただく場合があります)
・知識や経験の差に関係なく発言しやすい場とするため、上映後のワークなどでは、否定しない/さえぎらない/決めつけないことを原則とします。
・化学物質過敏症や香害の影響を受ける方も参加しやすいよう、匂いの強い柔軟剤や合成洗剤の使用は控えるようにしてください。
▼情報保障・バリアフリーについて▼
・上映前の注意事項説明や上映後のワークの間はUDトークと筆談用の道具を準備します。
・映画本編は日本語字幕付きです。
・会場入り口には30cm程度の段差があるため、当日はスロープを設置します。
・会場内には多目的トイレの設備がないため、必要な方は商店街内の多目的トイレをご案内します。
その他ご不明な点があればメール(books.megafon@gmail.com)までご連絡ください。
②営業日誌
2023.12.16(土) 13:00-19:00 曇
売り上げ:11,770円
売れた本:『スパイスとセーファースペース』『生活と怒号』『日本語に住みついて』『九月、東京の路上で』『フェミニズムはみんなのもの』『三人が苦手vol.2』『透明人間 Invisible Mom』
1ヶ月ぶりの店舗営業。来客数は少なかったが売り上げはいつも通りくらい。
営業中、岐阜でフリーペーパーを発行している人から取材を受けたが、意外とあっさり終わり、逆に心配になる。取材を受けるたび、こちらが考えていることを100%完全に伝えることはできないなーと毎回思う。(だからこそ、自分で自分のメディアを持つことの大切さを実感する。)
2023.12.24(日) 13:00-19:00 晴 寒い
売り上げ:14,720円
売れた本:『ぼくをくるむ人生から逃げないでみた1年の記録』『スパイスとセーファースペース』『言葉の風景、哲学のレンズ』『透明人間 Invisible Mom』など
営業前に取材を受ける。ほぼ毎回、「マイノリティ当事者の方も来られたりしますか?」と聞かれるが、別に「ゲイで〜す!!✌️」と叫びながら入ってくる人はいないし、見た目でわかるわけもないので、変な質問するなといつも思う。今日の取材では「別に見た目でわかるわけではないので…」とはっきり言っておきました。
③モヤモヤお焚き上げ:「ケア」の定義について
先日名古屋で開催されたトークイベントに参加してきた。資本主義や民主主義がいかにケアを搾取してきたか、というテーマの講演で、内容自体はとても良かったのだが、ケアという言葉の定義について気になった点があった。
まず、スピーカーの方はケアのことを「他者の手を借りなければ生存に必要な活動を行えない人のニーズを満たすための活動、営み、実践のこと」(うろ覚え)と定義していて、そうか???となった (そもそも「ニーズ」という言葉をここで使うことに違和感)。ケアをする側とされる側をはっきり分断してしまう定義だなと思った。
ケアの定義というよりは、育児や介護などに限りなく近い意味に感じたし(もちろんそういう行為もケアには含まれるが必ずしもそれだけではないはず)、ケアという言葉でしか掬い上げることのできない営みやコミュニケーションを取りこぼしてしまっているのではないかと感じた。
例えば先日参加した、みんなでおしゃべりしながらネイルをする会では、爪を磨きながら最近モヤモヤしていることをシェアしたり、自分の怒りをネイルに込めたりして、参加した我々にとっては間違いなくケアの場だったが、先述の定義ではこういった瑣末で個人的なケアの営みは取りこぼされてしまう。必ずしも社会的に意義があって、生産的な行為だけがケアと定義されるわけではないはずだ。
そもそも、第三者との間にだけ発生する関係性としての「ケア」だけを取り上げていては、ケアの本質的な部分を見誤るような気がするし、他者の存在を介在しないケアのあり方もあり得るはずではないかと思って少しモヤモヤした。
そもそもケアを定義づけることに意味はあるのか(定義づけることは可能か?)と考えてしまうくらい、柔軟で広がりのある言葉だと思うし、人によってその捉え方とか位置付けは違うし…とぐるぐる考えながらその日は帰った。
あと、その講演ではケアについて話すときに、常に育児や介護などの(家族やそれに近い枠組みを前提とする)行為を前提としているような印象があって、そこに主体的に参加できない人の存在はどうなるんだろう…と思った。例えば、親や親戚と絶縁状態にあるセクシャルマイノリティの人がいたとして、その人はケアをすることもケアされることもないし、その営みの輪からは除外されることになるのか…?と考えてしまった。
ホワイトフェミニズムにのみ依拠しない、よりオルタナティブでクィアな「ケア」のあり方について、もっと考えたいなと思った。(参考図書あれば教えてください。)



